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『おとうさん、さようなら』

2014/ 01/ 17
                 
子どもの目から見て、父と母は仲の悪い夫婦でした。

お互い心底憎しみあっているのではないということはわかるけど

些細なことでいつも衝突していました。

日曜の朝などは両親のケンカの声で目が覚めることもよくありました。

ある時は母が家を出て行ったこともありますし

姉が母に離婚を勧めていたこともあります。

それでも母は毎日、父のために食事を用意し、ワイシャツにはアイロンをかけ、

父も仕事が終わると真っ直ぐに家に帰って来ていました。


去年の11月、父の主治医の先生に話を聞くために福岡に帰った時、

先生の話が終わった後に、父の病室に行きました。

その時の父はまだ食欲もあって、病院の食事では足りないらしく

母が来ると病院の売店にお菓子やサンドイッチを買ってくるように頼んでいました。

売店へ母が向かうと、父がベッドのわきの椅子に座るように私に言いました。

なんとなく照れくさくてちょっとためらいましたが

「いいから座れ」と言われて座りました。

そこで父は私の目を見据えて話をしました。

私と話す時の父の私を見る目は記憶にありますが

私を「見据えて」話をするのは初めてのことだったと思います。

あまり構ってくれない分、説教くさいこともほとんど言わなかった父がある程度、今後のことを覚悟してその話をしているのだと思いました。

認めたくはなかったけど遺言なんだなと覚悟しました。

病院の後、実家で母の話を聞きました。

入院する前、父が「痛い、痛い」と一日中絶叫し、それでも病院には行こうとせず

一日中その叫び声を聞く母もとてもしんどかったと

そのしんどさ故に父に憎しみの感情を抱くこともあったけど

夜、睡眠薬を飲むと何事もなかったかのように眠りにつく父を見て

母は憎しみの感情を抱いた自分を恥じて、毎晩父の頭を撫でていたそうです。


昔あんなにケンカしてたのに…

あんなに仲が悪かったのに…


年末、帰省してお見舞いに行った時も父の母への苛立ちの声が飛びます。

買って来たものが気に入らない

下着の置き方が好きじゃない

それでも母は帰る時には父の頭を撫でてから病室を出ていました。

「また来るね」の言葉を添えて。

父も「また来てください」と答えていました。

私はその姿を見て思いました。

父と母が運命の赤い糸で結ばれていたかどうかはわからないのですが

2人は小さな糸を長い年月をかけて紡いで来たのだと思いました。

『絆』という糸を。



告別式の後、父の遺体は焼かれることになり、火葬場へと運ばれました。

親族は火葬場で最後の父と対面しました。

棺に入った父への母の最期の言葉を聞いた時、私は父と母の『絆』の認識は間違いであることがわかりました。

母は父に言いました。

「おとうさん、さようなら」

と。

その時の母の「おとうさん」という呼びかけは私が今まで聞いた母のどの「おとうさん」という呼びかけよりも優しい響きでした。

そして母はきっと初めて父に「さようなら」と言ったのだと思います。

その一言で『絆』なんて言葉で片付けられない両親の気持ちがわかった気がします。

きっとそのことを父と母に言っても一笑に付されるだけかもしれないけど、

でも二人の間には愛があったんだなぁと。

いろんなことがあったんだろうけどそれでも離れなかった2人。

子ども心に「どうして結婚したんやろ?」と思うこともあったけど

好き同士で結婚したんだね。



ブログのコメント、ツイッター、多くの方にお悔やみのお言葉、励ましのお言葉、気遣いのお言葉をいただきました。

一つ一つにお返事はできませんが、全て拝見いたしました。

皆様本当にありがとうございます。

無事に初七日まで終わりました。

母の「一人でも大丈夫よ」という言葉と

叔父の「身体が動くうちじゃないと好きなことはできないからね

若いうちにやりたいことをやりなさい」

という言葉に甘え、もう少し、自分のやりたいことをやろうと思い、埼玉に戻ってきました。

ただ、これからは長期の休みなどは福岡に行くことが多くなると思うので

遠征とか、試合を見に行くことも減ると思います。

でもその分、ラジオの情報とかは去年よりかは書き起こせるかもしれません。

一週間お休みをしましたが、また今日から再開します。

これからちょっと寝て、早起きできれば、まずは今日のLEX、森友哉インタビューから書き起こし再開します。

起きられなかったらごめんなさいw

仕事も立て込んでいるようなので、思うようにできないことも多いかと思いますが

またよろしくお願いします。


甘口獅子
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コメント

        

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初めまして ぴーぽと申します。
埼玉から遠く離れた北国に住んでおり、ラジオ等聞けない私にとって貴重な情報源で甘口さんのブログは楽しみのひとつでもあります。

私も母を3年前に長い介護の末、亡くしました。
父は元々、家では口数も少なく全く何もしないという昔気質の人でしたし、二人は特に喧嘩もしてませんでしたが、仲が良かったとも思えませんでした。冷めた夫婦と勝手に思い込んでいたのが本心です。

母が思いもよらぬ難病になり、寝たきりになってしまって、実家を離れていた私と弟夫婦と交代で週末に通うという状態が何年か続きました。
日に日に他人を寄せ付けなくなっていく母の面倒を看ながら、慣れない家事を一人でこなしている父に正直驚きました。
母も何かにつけ「お父さん、お父さん」と父を頼りきっている姿を見ていると、二人にしか解らないものが確かにあると感じました。それが絆なのか愛なのか情なのかは、未熟者の私には解りませんが・・・。

現在は、千葉の本社に転勤してしまった弟にかわり、私が月1回程度ですが、父の様子をみに帰っています。
父は、友人も多く、一人の生活を楽しんでいるようです。
ただ、私が帰る時、口には出しませんが幾分寂しそうな顔をして後ろ髪引かれる思いをする事もたまにあります。
高齢になった親に何をしてあげれるのか、自問自答しますが、お互い元気なうちは、それぞれの生活を生きていけばいいのかと・・・。

長くなってしまいごめんなさい。
これからも甘口さんのブログ楽しみにしています。
どうかお気を落とさず、無理しないでくださいね。

        今朝は-10℃でした(;゚(エ)゚)    ぴーぽ
お疲れ様でした
無事に帰って来られたようで何よりです。以前にもお父様のお話を見てコメントさせて頂いた者です。その際にも書いたのですが、境遇があまりに私と似ていて今回も思わず涙があふれそうでした。結果はとても悲しい事だと思いますが、不謹慎な言い方かもしれませんがお父様と一緒にこれまで闘ってきたご家族からすると、どこか安堵というか、それに近いお気持ちもあるのではないでしょうか。お父様も長い苦しみから解放され、今頃はきっと天国からご家族の事を見ながら、闘病中には口にできなかった好物でも食べられているのではないでしょうか。これからも暫くは何かと考えていかなければいけない事もあるかとは思いますが、そんな中でも自分の好きな事に没頭して楽しみ、そして何よりご自身の事もいたわる事も大切な事だと私は思います。これからもどうかお身体には気をつけて、末永くブログも続けていかれる事を願っております。
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こんばんわ
人それぞれの人生模様がありますね…
かみしめるように今を過ごされて下さい。
そしてお母様を支えてあげて下さいませ。

菊池投手の大ファンでこちらのブログに良く
助けられております。
ラジオ録音はどうされるのか伺いたいところです。

開幕が待ち遠しいです。ブログ楽しみにしております☆
はじめまして、はらしんと申します。

この度の内容を読ませて頂き、感涙に堪えません。

うちの両親も仲は悪かったのですが、それでも最後まで添い遂げました。自分も家庭を持って夫婦の間や子供の事で何かある度に、夫婦って、家族って簡単じゃないんだ。両親は何だかんだあってもいろんな事を乗り越えてきて、自分らを育て上げてきてくれたんだなぁと感謝の気持ちが溢れてきます。

その両親も今はこの世にはいません。
あっちの世界で、またけんかでもしながら仲良く過ごしているのかなとも思います。
(あの世に行ったら、お互い絶対に一緒にいないと、生きている内は言ってましたが、どうなんでしょうか…?)


いつも、ライオンズ情報を拝見させて頂いています。
これからも頑張ってください。

私も生れは福岡で、埼玉に住んでいた事もあり、クラウンライター(年齢がばれる)時代からの生粋のライオンズファンです。これからも宜しくお願いします。 m(_ _)m
        
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